ダリヤは 16 歳でフランスの高校で 1 年間過ごした。 フランスのノルマンディーで高校生として受け入れてくれる学校を見つけました。 当時、フランス語の知識と文化の違いの感覚には大きな違いがありました。 それで、高校を卒業するまでにダリヤがトリリンガルになったと言えます。言語の視野をさらに広げるために、ボンにあるフリードリッヒ・ヴィルヘルムス大学の東洋言語セミナーに参加して、翻訳者のディプロマコースに登録しました。 当時の ヨーゼフ・クライナー教授 が率いる日本研究所で「現代日本と地域研究」を選びました。 沖縄の歌や板東俘の奇跡など先生の印象的な講義の思い出は今でも残っています。
当時の教科書は学研出版社の「今日の日本語」’Japanese for Today’ でした。 ブルーノ・レヴィン教授がドイツ語で書いた日本語を紹介した最初の教科書は、1986年まで登場しなかったと言えます。